いつもご愛顧ありがとうございます。
夏の梅ちゃん餃子発売決定に各方面から「楽しみにしている!」という声が寄せられています。本当に楽しみにして頂ける内容になっております!発売までもう少しお待ちください。
そんな今日は「夏の梅ちゃん餃子」ではなく「夏の梅ちゃん」について書いてみようと思います。
1970年の大阪万博の年は忙しさがピークだったようで、その年の夏のことは忘れたくても忘れられないという梅ちゃんですが、では通常の夏はどうだったのでしょうか?
竹園旅館のピーク時の夏は、高校野球が5校、そこに東映フライヤーズというパ・リーグのチームも同時に宿泊していたそうです。セ・リーグのチームは甲子園大会がある為に宿泊しませんが、パ・リーグのチームは関係ない為、普通に泊まりに来ていたのです。
そんな中、京都の西京極球場で試合が組まれることもあったようで、芦屋から京都まで試合に行く為、試合が終わって宿舎に戻ってくるのが0時前くらいで、そこから夜ご飯を食べる為、全ての仕事が終わるのが午前3時を回るのだそうです。
その日にたまたま宿泊している高校が第一試合だったりすると、5時頃に朝食の準備を行う為、文字通り「寝る間も無かった」のだそうです。
梅ちゃんは「若かったということ以上に、とても充実していたので、あまり疲れを感じることはなかったし、夏ってそういうことが平気な季節なんだよ!」と、爽やかに語っています。
自身も高校球児だった梅ちゃん。何よりうも野球のお世話をしていることが本当に幸せだったのかもしれません。
そんな梅ちゃんにとっての「青春の季節」である夏に作られた餃子が、「夏の梅ちゃん餃子」なのです。
試合を翌日に控えた高校球児や、首位攻防戦になることが多かったという、前半戦最後の甲子園での阪神戦を戦う巨人軍戦士の胃袋を鷲掴みにした梅ちゃんの餃子。
通常の梅ちゃん餃子に夏の熱気を盛り込んだ濃いめの味わいは、きっと皆さんの夏の胃袋も鷲掴みにすることでしょう。