ご案内

芦屋うめちゃんの味

うめちゃんの名付け親は敬愛する長嶋茂雄さん。
その長嶋さんをはじめ多くのスポーツ選手の方々より後押しを受け、一人でも多くの方にうめちゃんの味を楽しんで頂く為に「芦屋うめちゃんの味」ブランドが立ち上がりました。

高校球児として甲子園に出場、その時宿泊した宿の娘と結婚、バットを包丁に持ち替え、高校球児からプロ野球選手まで、「元気になる料理」を作り続けた情熱料理人、それが「うめちゃん」こと梅田茂雄です。

屋号を書いてくださったのは王貞治さん。
古くから梅田茂雄・多美子夫妻と親交がある王さんが、「うめちゃんが作り、たみちゃんが支えた味に対して断る理由はなにもない」と言って書いてくださったものです。
そして「うめちゃんの味は美味しいだけではなく元気が出る味」と仰ってくださいました。

長嶋監督をはじめ多くのスポーツ選手を魅了した餃子、
王貞治さんが愛したラーメン、
そしてうめちゃんがアスリートの為に作っていたカレーをベースに
「カレー好きの為のカレー」として50年作り続けたカレーが完成しました。
うめちゃんの味は「強くて優しい味」です。
食べた方の背中を優しく押して元気を与えてくれる味です。

「うめちゃん」のご紹介

梅田茂雄
昭和19年7月6日生
昭和37年春の選抜高校野球大会出場。
その時に出来た縁で昭和40年に宿泊先の宿「竹園旅館(当時)」に入社。
厨房で料理人の修行を重ね「うめちゃん」の愛称で多くの選手から慕われ、
同時に料理人として野球選手をもてなすメニューの改革に取り組む。
昭和61年、宿が旅館からホテルに変わった際、料理長に就任。平成21年引退。

うめちゃんの味ストーリー

うめちゃん餃子がどのようにして誕生したのか・・・。

うめちゃんが竹園で高校野球のお世話をしている時、一番多い時には5校が宿泊していたようです。定宿にしていた神奈川県の他、ランダムに全国各県の代表校が泊まっていたようですが、うめちゃんはその全ての高校が決勝に進出するまでのメニューを作っていたそうです。それも全て違うメニューだったようです。そのメニューを最後まで使い切る、要するに決勝まで行く高校は、数年、いや数十年に一度で、多くは作成したメニューの前半となる、初戦や二回戦等で敗退して帰っていくことが多かったようです。

それでもうめちゃんは、毎回必ず宿泊している学校全てが決勝に行くことを願い、望み、メニューを組み魂込めて料理を作っていました。
その中の一つとして存在していたのがうめちゃん餃子です。自身も高校球児で宿泊した経験があるうめちゃんは、とにかく「飽きない」ということ、「毎日美味しい食事で嬉しい!」、そして「頑張るぞ!」と思ってもらえるように、バリエーション豊富にメニューを構成していたようです。その中にラーメンと餃子の日を作っていたようで、うめちゃんの餃子は、「餃子単体」としてではなく「ラーメン餃子定食」的な位置付けで提供されていたようです。あくまでもラーメンの横のお供として存在していたのが始まりだったのです。

夏の暑い日の昼ご飯、汗をかきながらラーメンをすすり餃子とご飯を頬張る高校球児。うめちゃんの提供する「食の原点」がそこにあります。
うめちゃんが「餃子は夏の食べ物」と言い切るのは、そういう球児達を見て来たからなのかもしれませんね。

うめちゃんカレーのベースとなっているのは、多くのプロ野球選手や高校球児、そして実は釜本さんをはじめサッカー選手や、平尾さん大八木さんを擁する神戸製鋼ラグビー部の方々も食べてきたカレーです。
バットを包丁に持ち替えたうめちゃんが、まず自分自身のカレーを作る為に一人鍋に向かい、栄養たっぷりの牛肉をたくさん食べてもらう為に、最初に作ったカレーが全ての始まりです。

そして、ホテル竹園芦屋がまだ竹園旅館だった頃、木造の旅館から昭和40年代に鉄筋コンクリートの新館が完成し、その!F玄関脇に梅ちゃんが料理長を任されたグリルがオープンしました。そのグリルで出す為にうめちゃんが作ったカレーがその原点になります。

以降、料理人としての成長期から完成期にかけて改良に改良を重ね、納得いくまで作り続けた、まさにうめちゃんの情熱を捧げたカレーの完成形が、今回商品化されたうめちゃんカレーなのです。

最後のピースをぢんとらさんのカレー粉が埋めてくれて、うめちゃんが50年作り続けたカレーが完成したのです。

情熱料理人と呼ばれ、厨房で熱く熱く生きてきたうめちゃん。
そんな梅ちゃんの情熱カレーがうめちゃんカレーです。