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若かりし頃の梅田茂雄

 若き日のうめちゃんの躍動!

うめちゃん餃子がどのようにして誕生したのか・・・。

うめちゃんが竹園で高校野球のお世話をしている時、一番多い時には5校が宿泊していたようです。定宿にしていた神奈川県の他、ランダムに全国各県の代表校が泊まっていたようですが、うめちゃんはその全ての高校が決勝に進出するまでのメニューを作っていたそうです。それも全て違うメニューだったようです。そのメニューを最後まで使い切る、要するに決勝まで行く高校は、数年、いや数十年に一度で、多くは作成したメニューの前半となる、初戦や二回戦等で敗退して帰っていくことが多かったようです。

それでもうめちゃんは、毎回必ず宿泊している学校全てが決勝に行くことを願い、望み、メニューを組み魂込めて料理を作っていました。
その中の一つとして存在していたのがうめちゃん餃子です。自身も高校球児で宿泊した経験があるうめちゃんは、とにかく「飽きない」ということ、「毎日美味しい食事で嬉しい!」、そして「頑張るぞ!」と思ってもらえるように、バリエーション豊富にメニューを構成していたようです。その中にラーメンと餃子の日を作っていたようで、うめちゃんの餃子は、「餃子単体」としてではなく「ラーメン餃子定食」的な位置付けで提供されていたようです。あくまでもラーメンの横のお供として存在していたのが始まりだったのです。

夏の暑い日の昼ご飯、汗をかきながらラーメンをすすり餃子とご飯を頬張る高校球児。うめちゃんの提供する「食の原点」がそこにあります。
うめちゃんが「餃子は夏の食べ物」と言い切るのは、そういう球児達を見て来たからなのかもしれませんね。

うめちゃんカレーのベースとなっているのは、多くのプロ野球選手や高校球児、そして実は釜本さんをはじめサッカー選手や、平尾さん大八木さんを擁する神戸製鋼ラグビー部の方々も食べてきたカレーです。
バットを包丁に持ち替えたうめちゃんが、まず自分自身のカレーを作る為に一人鍋に向かい、栄養たっぷりの牛肉をたくさん食べてもらう為に、最初に作ったカレーが全ての始まりです。

そして、ホテル竹園芦屋がまだ竹園旅館だった頃、木造の旅館から昭和40年代に鉄筋コンクリートの新館が完成し、その!F玄関脇に梅ちゃんが料理長を任されたグリルがオープンしました。そのグリルで出す為にうめちゃんが作ったカレーがその原点になります。

以降、料理人としての成長期から完成期にかけて改良に改良を重ね、納得いくまで作り続けた、まさにうめちゃんの情熱を捧げたカレーの完成形が、今回商品化されたうめちゃんカレーなのです。

最後のピースをぢんとらさんのカレー粉が埋めてくれて、うめちゃんが50年作り続けたカレーが完成したのです。

情熱料理人と呼ばれ、厨房で熱く熱く生きてきたうめちゃん。
そんな梅ちゃんの情熱カレーがうめちゃんカレーです。