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巨人ナインが愛した味

 2009年3月で現役を引退したうめちゃん。その引退記念に何か出来ないか?と考えた家族は、うめちゃんの本の出版を企画します。そして、dancyuという料理雑誌を出版しているプレジデント社に企画書を持ち込み、2010年7月6日のうめちゃんの誕生日に無事出版されます。それが「巨人ナインが愛した味」という本です。

帯を書いてくださったのは、長嶋さんと原辰徳さん。原さんもまたうめちゃんとの関わりが深い方です(詳しくは本を読んで頂ければ幸いです)。

読んだ方から「タイトルで損してる!巨人ファン以外でも楽しめるのに!」とよく言われました。確かに本来であれば「スポーツ選手が愛した味」にした方が良かったのかもしれません。
しかし、長嶋さんに対する思い、そして巨人軍に対する思い、それを感じた編集の方が「うめちゃんだからこそこのタイトルで良いんじゃないか」と言って、最終的に「巨人ナインが愛した味」になりました。

本当に巨人ファン以外の方も楽しめる本です。料理と巨人軍(をはじめ多くのスポーツ選手)、そして愛する妻のために生涯をささげた一人の料理人の人生がそこに記されています

その誠意が料理を通じて多くの方々に伝わったと思います。長嶋さん、原さん、桑田さん。川上さんからの寄稿文が、うめちゃんの料理人人生が間違いではなかったことを証明してくださっていて、とても泣けます。

うめちゃんはこの本で自身のレシピを惜しげもなく披露しています。「多くの人に自分の料理を作ってもらいたい、ただただそれだけのこと」と語っています。

うめちゃん餃子やうめちゃんカレーを食べて、少し梅ちゃんに興味を持って頂いたのであれば、是非ご一読頂きたいです。よろしくお願い致します。

「長嶋茂雄さん」

うめちゃん餃子の旧パッケージ写真には一つのこだわりがあります。
ミスタージャイアンツと呼ばれた長嶋茂雄さんが、 うめちゃん餃子をこよなく愛してくださったのは、二度目の監督の時代でした。昼食にうめちゃんが作った餃子を食べた際、「うめちゃんが作った餃子は本当に美味しいな」と何度も仰ってくださったようです。
それが頭にあったのか、食べたいものをリクエストする際に「うめちゃん餃子!」と仰るようになったのが、この商品名にもなった「うめちゃん餃子」の始まりなのです。それまではただ「餃子」とだけ呼ばれていたメニューだったのです。長嶋さんの一言でメニューの名前が変わる。うめちゃんにとって、長嶋さんはそれだけ特別な存在なのです。

その長嶋さんがうめちゃん餃子を食べる時、必ず一つめを空に掲げ「うめちゃん餃子!」と呟くのですが、その時の角度を完全再現して撮られたのが、うめちゃん餃子のパッケージ写真なのです。

年代的にうめちゃんはジャストの長嶋世代。長嶋さんに憧れ野球を始めた少年時代は、日本中の他の子供たち同様、銭湯に行けば「3番」の下駄箱を取り合っていたと言います。
そんなうめちゃんが、縁あって竹園旅館の娘であった多美ちゃんと結婚して、一番嬉しかったことは長嶋さんを間近で見ることが出来、親しくさせて頂けたことだったようです。初めて長嶋さんのスパイクを磨いた時の感動を今でも覚えているようです。
旅館の娘の多美ちゃんは、長嶋さんを描いたマンガにも登場するほど、子供の頃から長嶋さんに可愛がってもらっていたそうです。

うめちゃんと結婚する際、長嶋さんに紹介したところ、当時は若い結婚で反対意見が多かった中、「多美ちゃん!この青年は大丈夫だ!良い男だ!」と太鼓判を押してくださったようで、その時に名前を聞いて「じゃぁ、うめちゃんだな!」と、今に至る「うめちゃん」の名付け親になってくださったとのことです。
以降、うめちゃんは現役時代は長嶋さんのチャンコ番として食事のお世話を開始し、それは監督時代も変わらず、ずっと長嶋さんの料理番として、うめちゃんにとって「幸せな日々」だったようです。
うめちゃんの奥さんの多美ちゃんは、歴代の監督さんのお世話係だったようです。監督さんの中には食事室で静かに食事される方もいらっしゃったようですが、長嶋さんは自身が食事室に行くと選手が気を使うだろうということで、自室で食事をなさっていたようです。
そこに多美ちゃんが料理を運ぶ訳ですが、監督さんに「今日は何をお召し上がりになられますか?」と聞く場合もあれば、長嶋さんから「今日はうめちゃんに言って肉を焼いてもらおう!」等、リクエストされる場合もあったようです。

そんなある夏の日、第二次政権時の長嶋さんが多美ちゃんに「選手たちは今日の昼ごはんに何を食べているんだ?」と聞いたそうです。その日は「ラーメン+餃子」の日だった為、多美ちゃんがそう答えると、「ラーメン餃子かぁ・・・よし!それを食べよう!」と異例のリクエストが入ったのです。
多美ちゃんは急いで厨房のうめちゃんに報告、それを受けたうめちゃんは厨房内で餃子を焼いていた者を押しのけ、自ら長嶋さんの為に餃子を焼いたそうです。

プロ野球滞在時、うめちゃんは基本的に厨房内にいるのですが、それはきっと長嶋さんからの急なリクエストにもすぐに対応出来るようにしていたのではないかと思われますが、まさに、そんなスクランブル発動!の瞬間だった訳です。
包んである餃子を手に取り、焼き始めるうめちゃん。焼き上がりすぐを長嶋さんのもとに運べるよう多美ちゃんがスタンバイする中、絶妙な焼き加減で額に汗して焼き上げます。
「冷めない内に運ぶ」ということを信条にしている多美ちゃんが、うめちゃんが焼き上げた餃子をしっかりと長嶋さんのお部屋に運び、ラーメンと共に食卓に並べます。

何も言わずに一口餃子を食べる長嶋さん。その反応を見る多美ちゃん。緊張の一瞬です。

静まり返る沈黙を破り、「美味い!多美ちゃん!これ美味いじゃないか!」という声が響き、安堵の表情を浮かべる多美ちゃんを横目に一気に餃子を召し上がる長嶋さん。食後、何度も「美味しかった」と言ってくださったようです。
そして次の滞在にお越しになった際、到着するなり長嶋さんから多美ちゃんに「うめちゃん餃子はいつだ? いつがうめちゃん餃子の日だ?」とお声がけ頂いたようです。
「監督さんがお召し上がりになりたいと仰れば主人はいつでも作ります」と多美ちゃんが答えると、満足そうに頷き「じゃぁ、今日食べよう!」とリクエストが入ったようです。

すでにお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、最初に食べてから次の滞在までの間に、長嶋さんの中で「うめちゃんが作る餃子」は、「うめちゃん餃子」という名称になっていたようです。
知らず知らずの内に、でも長嶋さんの中ではごくごく当たり前に、「うめちゃん餃子」が誕生していたことになります。
そして運ばれてきたうめちゃん餃子を一つ持ち上げ、満足そうに微笑み、一言「うめちゃん餃子!」
その瞬間その存在が確立されたのでした。

長嶋さんの中で完全に確立された「うめちゃん餃子」
遠征でお越しになられる度、必ず「今日はうめちゃん餃子を食べよう!」というリクエストが定着しました。

そんな夏のある日、いつものようにうめちゃん餃子を食べる長嶋さんでしたが、その日はいつもと違い「おかわり!」と仰られたそうです。
一人前一皿七個で提供させて頂いた餃子をおかわりすることはとても珍しいことでしたが、なんと長嶋さんは二皿目を食べ終える頃に再度「おかわり!」と仰ったそうです。
そして運ばれてきた三皿目も美味しそうにお召し上がりになられ、全部で三人前二十一個をお一人でお召し上がりになられたのでした。

美食家で知られる長嶋さんのことです。美味しいものを少量づつたくさんの種類をお召し上がりになられる食のスタイルだったと思います。それを一つのメニューで二十一個お召し上がりになられたのは、近年では無かったことだったようで、ご本人も「よく食べたなぁ〜」と苦笑いなさっていたそうです。

さすがにその日は若干胃もたれなさったようで、試合前にロッカーでお召し上がりになられる穴子の押し寿司を辞退され、その際「うめちゃん餃子が美味し過ぎるからいけないんだ!」と、冗談とも本気ともつかないトーンで仰られたようです。

長嶋さんにとって「うめちゃん餃子」は、うめちゃんが提供させて頂いた食の中でも特別な存在になったようで、うめちゃんが自身の引退の挨拶をさせて頂いた際、「たくさんの美味しい料理をありがとう」という労いのお言葉と共に「うめちゃん餃子は本当に美味しかったな!」と笑顔を見せてくださったようです。

うめちゃんと多美ちゃんがおもてなしをした竹園での食事のひと時は、長嶋さんにとって特別な時間だったようで、2000年に京都で行われた日本の食卓展に出展を依頼された長嶋さんは、迷わず竹園での食卓を選んでくださり、うめちゃんが作るメニューと共に、以下のお言葉を展示くださいました。

うめちゃんが作り多美ちゃんが支えた味。それを一番理解してくださっていたのが長嶋さんであったことは、うめちゃんの料理人冥利に尽きることだったと思います。